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Celsus
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 サンナに呼ばれて出てきたセアンは、たぶん、ソファに転がっているリーヴェを見て少し驚いたのだと思う。
 まっすぐに歩み寄ってきて、顔を覗き込まれた時、少し険しい表情をしていたからそうだろう。
「平気か?」
 セアンもまた、簡素な生成のシャツ姿だった。
 こんな気楽な格好をしているのを見るのは初めてで、珍しい姿だ……とぼんやり眺めてしまう。それからもう一度同じ事をきかれて、ようやくリーヴェはうなずいて言った。
「まだ寒い」
「平気じゃないならうなずくな、まぎらわしい。薬は?」
 リーヴェはそれもそうだと納得しつつ、ボーアの薬は上着の隠しに入れていたことを話す。
 セアンはすぐにサンナに言って、ジャケットの隠しから薬を包んでいた袋を出してくれる。小さな瓶に入れられているのは、丸く黒い固まりだ。
 瓶に入れていたおかげで、濡れていない。
「自分で飲めるか?」
「だいじょぶ」
 と言いながらも、ソファに転がった体勢から起き上がるのが辛い。リーヴェが唸りながら芋虫のように転がっていると、察したセアンが起き上がらせてくれた。
「だから平気でないのなら、大丈夫だと言うな。面倒な」
 叱りながらも、セアンはご丁寧に薬を口に入れて、水を入れたカップを支えてくれる。
 有り難く飲ませてもらうと、水が喉を通る感覚が心地よい。そして思ったより喉がかわいていたらしい。リーヴェはそのままカップ一杯を飲み干した。
 そんなリーヴェの後ろで、サンナ親子がこそこそと話している。
「まぁ甲斐甲斐しい……」
「いいわよね母さん、なんか大事にされてるって感じがして」
「やっぱり道ならぬ恋の方かねぇ? 家が不仲同士で恋をして、結婚を反対されたから二人で新天地へ逃れる途中とか」
「主の娘を攫ってきたのかもしれないわ、母さん」
 まだリーヴェ達の関係について、妄想世界を広げているようだ。
 そんな二人に、セアンがリーヴェを寝かせる所を尋ねてくれる。
「ああ、さっきあんたが着替えてた部屋を使っておくれ」
 そして笑みを浮かべながら、部屋はそこしか開いていないと言う。
「……わかった。あと、何か食事を頼む」
「あたしらもこれから夕食だったからね。一緒に食べてしまおうか」
 うなずいたセアンは、食事の支度にかかるサンナを見送ると、リーヴェを抱えて部屋へ連れて行く。
 抱えられる事になれてきたというか、ぼんやりとしてかなりどうでも良くなってきていたリーヴェは、借りてきた猫のように大人しくしていた。
 居間の隣の部屋は、思ったよりも広かった。
 寝台と何かの作業机の他に、小さいながらもソファを置くゆとりがあったのだ。
 一つきりの寝台に、子供のようにリーヴェは寝かされる。
「なんか、いろいろごめんね……」
 ここまで運んでくれたことも、泊まる場所を探してくれたことも、あげく薬まで飲ませてもらったのだ。申し訳ないやらなにやらで、リーヴェはいたたまれない気分になる。
 セアンはかいがいしく、リーヴェの首もとまで毛布と中綿の入った掛布を広げてくれた。
 お母さんみたいだなと、リーヴェはほっこりした気持ちになる。
「気にするな。それよりもあの親子の変な妄想話は何だ?」
 セアンは完璧に無視していたので興味も湧かなかったのだろうと思えば、ちゃんと聞いていたらしい。
「男女二人で泊めてくれって言いにきたのが、いたく想像力をかきたてたみたい。都市から離れた場所だから娯楽が少ないのかな。駆け落ちだろうって、あれこれ考えて楽しんでるらしいの」
 リーヴェでもそういうことはする。だから特別嫌だとかは思わなかったのだが、よくよく考えてみれば、噂をされたセアンはいやだったかもしれない、と思えた。
「なんか私のせいで何重にもごめん……」
 だがセアンはあっさりと断じる。
「まぁ、その方が、傭兵が追って来た時に都合がいいだろう。あいつらが追っているのは二人の騎士だ。男女組のしかも駆け落ちなら煙に巻くのに丁度良い。信じ込ませたままにする。口裏を合わせろ」
「ん、了解」
 答えながらも、リーヴェはようやく乾いた暖かな布団に包まれて、うとうととし始めていた。
「食事は無理そうだな」
「うん。眠い……」
 子供のような返事をしたリーヴェに、セアンが「なら眠れ」と言ってくれた。

 そのまま、リーヴェはかなり本格的に眠っていたようだ。
 不意に目を覚ましたリーヴェは、暗い部屋の様子に目をまたたいた。
 結構長く眠っていた気がする。それにしては夜が明けていないので、ずいぶん夜が長いような錯覚におちいりそうになった。が、考えてみれば、リーヴェが眠ったのは夕暮れ近くだ。夜が明けていなくても当然だろう。
 暗くても、雨が降り続いているのがわかる。
 しとしとと雨だれが地を打つ音が外から響いてくるからだ。
 具合の悪さは、眠る前よりずっといい。けれどまだ、寒気がしていた。
 むしろ寒くて起きたのだ。
 毛布と掛布をきつく巻き付けてみるが、足りない。
 そのまま震えていると、声が掛けられた。
「起きたのか」
 セアンの姿を探すと、寝台から離れた壁際にすえられたソファの上にいるのがぼんやり見えた。毛布を被ったセアンは、襲撃を警戒してか、剣を手に持っている。
 本当はリーヴェもそうしなくてはならないはずだ。せめて寝台の中で剣を抱いて眠るぐらいは、すればよかったと悔やむ。
「ごめん。本当に足手まといだ私」
 こういう時のために自分は王妃の側に上がったはずなのに。戦えずに庇われているのでは、普通の女官と変わりない。
 そもそもこんなに体調が悪化したのは、いつ以来だっただろう。
「わたし……病も裸足で逃げ出す凶暴女って、噂されてたのに……」
 不名誉なあだ名がつくほど、元気だった自分はどこへ行ったのだろうと不思議に思う。
「だろうな。治せる自信があったから、平気で馬を飛ばしてたんだろう。でもそのことは治ってから考えろ」
 そう言って、セアンがリーヴェの額に手を乗せる。
 冷たく感じるかと思ったら、意外にセアンの手は温かかった。
「あったかい……」
 じんわりと染み込む暖かさにほっと息をつくリーヴェとは対照的に、セアンが顔をしかめる。
「体温下がりすぎじゃないのか?」
「ん? なんか寒くて……熱があるんだとばっかり思ってたんだけど」
 するとセアンが左手でリーヴェの首に触れ、次に毛布の中に手をつっこんで、腕に触れる。
「セアンの手あったかいなぁ」
「やっぱり下がってるな。風邪は引いているんだろうが、原因がそれだけかどうか……」
 セアンが腕に触れていた手を離す。
 熱源を失って思わずリーヴェは身震いした。
「まって寒い。少し手貸して」
 思わずセアンの手を捕まえてすがりつく。ぎゅっと握りしめるとほっとした。
「ぬくい……温石とか、けっこう最初は熱いじゃない。この人肌程度のあったかさがめちゃくちゃ丁度良いんだけど」
 温石は冬の暖房道具だ。火の中に入れたり、湯に入れて暖めた石を布でくるんで懐に入れて使うのだ。熱くて火傷をする場合もあるし、かといって加減しすぎるとすぐ冷たくなって長く使えない。
「……俺は温石扱いか」
 あきれた声で言われたかと思うと、無情にもセアンは手を引っこ抜いてしまった。
「う、暖房が逃げた」
 寒さのあまりに涙目になったリーヴェだったが、次の瞬間息を飲み込んだ。
 毛布がはがされて首をすくめたと思ったら、セアンに抱き込まれて、再度毛布がかけ直される。
 ようするに、同じ寝台の上で二人抱き合って寝る形だ。
「なっ……」
 いつもと違う薄手の布の向うに、暖かな体があるのを感じた。
 リーヴェを抱きしめる腕の筋肉まで、背中や腰からその感触が伝わる。
 背筋に触れる指の一本一本が、はっきりと知覚できた。
 リーヴェは恥ずかしさに思わずもがきかけたが、肩と頭をおさえられていて、セアンの胸から頬を離すことすら許してもらえなかった。
「暖房代わりなんだろ? この方が面倒くさくなくていい」
 俺をずっと床に座らせておく気かと言われて、リーヴェは反射的に「めっそうもございません」と返事していた。
 そうだった。
 腕だけ貸してもらうにしても、当の本人はずっとリーヴェの側にいなければならないのだ。
 雨が降り続いて気温の下がっている夜に、リーヴェのために眠らずにそこで座れというのは、さすがにひどい要求だろう。
 それに明日には病人を抱えて行動しなければならないのだから、セアンも休む必要がある。
 いくら不気味で人外魔境だと言われる人でも、体は一応人間なのだ。
 休養を欠かせばセアンも満足に戦えなくなる、イコール、二人とも傭兵部隊に見つかったらあの世行きだ。
 さまざまな事を考え合わせ、リーヴェは大人しくすることにした。
 正直、手を貸してもらうよりこの方が暖かい。
 思わずすがりつきたくなるが、さすがに恥ずかしすぎるのでそれはできない。だからセアンの服をぎゅっと掴んだ。
 すると意を感じ取ったかのように、セアンがリーヴェの体を引き寄せてくれる。
 頭の上に触れる彼の頬の感覚も、暖かな吐息すら心地よくて、ひどく安心する。
(私、なにやってんだろ)
 いくら信頼関係があるとはいえ、セアンと自分はそういう関係ではない。それなのに、文字通りの同衾状態になるなど、貴族の子女でなくとも恥ずべき事だ。
 きっとリーヴェの母が知ったら、怒りの余り卒倒しかねない。
 それにアマリエ。
 セアンのことは幼なじみ。そう思い切るのだと言っていた以上、彼女はいつかセアンが別な女性と結婚することすら想定しているはずだ。
 が、ずっとセアンを思ってきたのだ。感情は別に違いない。複雑な気持ちになるだろう。
 一方でリーヴェは、セアンが決してそういう意味で手を出さないだろうと言うことも知っている。

 ――そうまで思い詰めるほど、セアンは自分の能力を厭っているのだ。

 彼の母親のように、誰にも告げずに誰かと結ばれる選択だってあったはずだが、彼はそれすら拒絶している。
 少しは気があったくせにアマリエを振ったのは、能力への嫌悪の方が恋より勝っていたからだろう。
 なんだか気の毒だ、とリーヴェは思った。
 誰か能力への嫌悪をかなぐり捨てられるほど、恋ができる人が現れたらいいとリーヴェは願う。
 この頑固な友人が、そこまで思い切るのには命がけの恋になってしまうかもしれないけれど。
 そんなことを思いながら、リーヴェは暖かさに、再び眠気に支配されはじめる。
「ありがとうセアン」
 礼を言えば、セアンが頭の上で笑う気配がした。
「礼はいいから、早く戦力になるように回復しろ」
「うん……了解……暖房……」
 本当は暖房代わりをしてくれて、ありがとうと言うつもりだった。
 が、言葉が途切れて、セアンを単に暖房扱いしているような言い方になってしまう。
 けれど言い直すことはできなかった。
 暖かくて……抱きしめられる事が妙に心地よくて、リーヴェはするりと夢の世界に滑り出していってしまったからだった。

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