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 セアンが馬を下り、扉を叩く。
 すると、家の中から気のよさそうな中年の女性がでてきた。
 彼女の一家は、暮らし向きはそこそこなのだろう。ふくよかな体格からそれが伺える。衣服も染料の安い薄い緑だったが、ほつれも見られず、清潔にしている。
 山間の村ではあるものの、ここはそれなりに裕福にやっていけるだけの収入源がある場所なのだろう。思えば村の他の家も、壁が壊れている様子もなく、綺麗に整えられていた。きちんと修繕する余裕があるのだろう。
 濃い茶色の髪を結い上げ、口元に皺のある中年女性は、最初こそ不信感いっぱいの表情をしていた。
「なんの用だい?」
「旅の途中の者なんだが、一晩泊めてもらえないか?」
 そして説明しながらセアンがフードをとった瞬間、中年女性は目を丸くし、次に頬を染める。
 馬に乗ったままのリーヴェとセアンをさっと目で交互に見て、楽しそうにそわそわしだした。
「まぁなんだってこんなひなびた村に……。そりゃあ、泊められないわけじゃないけど」
 中年女性はあっさり「泊めちゃおっかなー」という顔になる。先程までの不信感などどこへ行ったのかさっぱり見あたらない。
「礼はこれで頼みたい。連れが熱を出しているので、急いで返事がほしい」
 と、セアンは銀貨を二枚差しだした上で、リーヴェに視線を向ける。
 その目は「話を合わせろコラ」と言っていた。
 リーヴェは顔をうつむけて、とりあえずこほんと咳だけしてみせた。
 なんかもうこの家の人はセアンに興味津々だし警戒心ゼロになったばっかりだし、演技も必要ないだろう。
 そういえばセアンは顔だけはいいのだ。それをすっかり忘れていた。
 美人も三日顔を合わせれば慣れると言った昔の人は偉大だ。
 そして、男に先人の名言の正しさを見せつけられたことに落ち込む。これがアマリエだったなら、リーヴェは心から賞賛するのだが。
 ついでに銀貨二枚は、商人や旅人向けの宿よりも高い相場だ。
 この金額だけで、身元や不審さについての心理的な壁は低くなるだろう。
 案の定、中年女性は気の毒そうにリーヴェを見てうなずいた。
「ああ、それは大変だったねぇ。その銀貨に見合う物を出せるかわからないけど、それでいいならお入り。今晩は荒れているし」
 風向きが違うので戸口には吹き込んではこないものの、家の壁にばたばたと雨がぶつかり続けている。雲も厚く、おそらく朝まで止まないだろう。
「馬も、どこかにつながせてもらいたいんだが」
「それぐらいならうちの子にさせとくよ。ちょいとロニヤ!」
 女性に呼ばれ、小さな玄関から続く短い廊下の向うから、十二歳くらいの女の子が出てくる。中年女性の雛型といっていい顔立ちからして、娘なのだろう。
「ロニヤ、この人達の馬を厩舎につないできな。今日は父さんと兄ちゃんがいないから、入れてやるスペースがあるだろう。飼い葉と水もやっておあげ」
 うなずいたロニヤは、二つに結んだ髪をぴょこぴょこと揺らしながら、雨の中へ駆けだした。
 セアンから手綱を受け取る時、ちょっと頬が赤くなったのも、母親とよく似ているなぁとリーヴェは妙なところに感心する。
 セアンは銀貨を受け取った女性に招かれ、自分で降りようとしたリーヴェを抱きかかえて家の中へ入ろうとした。
「え、あの、重いだろうし、自分で立つよ」
 しかし、
「ふらついてる奴の言う事など信用できん」
 そう言い切られてしまった。
 扉の中に入ると、一間だけの小さな空間をへだて、さらに扉を開けて中に入ったところが居間になっていた。
 ステフェンスは冬の厳しい土地だ。
 こうして居室まで、扉と壁で二重に区切ることによって、寒気が直接住居区画に吹き込むのを防いでいる。他の部屋や二階部への階段へも、居間から行けるようになっているのが一般的な造りだ。
「とりあえず着替えだね。兄さんの方は旦那の服を貸すから、あっちの部屋でそれに替えて。濡れた物は出してくれれば乾かしておくよ。お嬢さんはこっちに座らせて」
 サンナと名乗った女性は、隣室へセアンを引っ張っていくと、手早く男物の服一式とタオル等を取り出して渡していた。
「着替えたら良いと言うまで待ってておくれ」
 セアンに言って扉を閉めた彼女は、階段を上って別な服や布を持ってきた。
 そして椅子に座って、のたのたと外套を脱いでいたリーヴェの顔をのぞき込む。
「顔色が悪いね」
「風邪なんです。ちょっとこじらせたみたいで……」
 話している途中でリーヴェは身震いする。
 サンナはリーヴェの着替えを手伝ってくれる。肌に張り付いた冷たい服を脱ぎ去ると、リーヴェはさすがにほっと息をついた。
 そして自分で髪を拭いている間に、サンナが湯に浸して搾った布で、体を拭いてくれる。
 手つきは優しくて、人の世話をするのが嫌な様子も見られない。基本的にサンナは世話好きな人なのだろう。
 さすが情報源がしっかりしているだけあるなと、リーヴェはセアンの能力に感心した。
 一方のサンナは、リーヴェの下着を見て驚いていた。
「あんた良い所のお嬢さんかい? 絹の下着だなんて娘の婚礼用にあつらえたきりだよ」
 庶民が日常着にするには、絹織物は高価すぎる。
 リーヴェはどう返答すべきかと思いつつ、でも貴族ですと正直に言うのもはばかられた。
 口外しないようにお願いしたとしても、もしあの傭兵がやってきて脅されたら……。
 外に出す情報は少なくする、もしくは偽るに越したことはないだろう。
「いやまぁ、その……」
 かといって、熱を出しているリーヴェは気の利いた言葉が浮かばない。
「そうすると、あの綺麗な顔の兄さんがどこかのお貴族様かと思ったんだが、本当はあんたがお嬢様で、使用人と駆け落ちって感じかい?」
「……え?」
 木綿の下着を貸してもらった上で、頭からかぶる簡素な夜着を手にとったところで、思いがけない言葉にリーヴェは動きが止まる。
「か、かけおち?」
 思わず反芻したリーヴェに、サンナは「隠さなくてもいいんだよ」としたり顔でうなずく。
「年頃の娘が若い男と旅をしてて、しかも宿のなさそうな村を通っていこうっていうんだ。人の集まる場所を避けるなら、駆け落ちだろうよ」
「え? あの、えっと」
「もしかして商売敵同士とかかい? あの兄さんは剣を持ってたし妙に上品だから、まさか商家の娘と駆け落ちした貴族のボンボンとか? なんかそっちの方がしっくりきそうだね……」
 止める間もなく、サンナの妄想は広がっていく。
 そもそもこういった恋愛に関する話題は、女子の好物だというのはリーヴェもわかっている。わかっているが、サンナはあまりに好き過ぎではないだろうか。
 そこで玄関に通じる扉が開いた。
「母さん、馬はちゃんとしてきたよ。お客さんは泊まっていくの?」
 入ってきたのはロニヤだ。
 彼女は服を抱きしめて硬直しているリーヴェと、楽しそうなサンナの方を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「お姉さんとっても肌が白いのね! まさかどこかのお嬢様なの!? あの男の人と駆け落ち!?」
 ロニヤも母親と似たような事をいいながら駆け寄ってきた。さすが親子だ。
 言葉を濁しながら、リーヴェは借りた木綿の下着を身につけて、服を頭からかぶる。
 アマリエや王妃と比べたなら、リーヴェは最近明らかに日焼けしてきている。それでも白く見えるのは、王宮には美容に関する様々な物が揃っているからだろう。
 むしろ騎士の訓練に参加するようになってから、アマリエには肌のケアについて厳しくチェックされるようになった。それもそうだろう。王妃の女官が思いきり日焼けしていたら、浮く。浮いたあげくに、王妃の評判も下がりかねない。
 なんといっても、女性は白く美しく、が昔からの理想なのだから。
 しかし王宮のことなど口にできるはずもなく、リーヴェはもそもそと服を着ることに集中する。
 生成の貫頭衣は寝間着のようだ。足首までの長さがある。
 乾いた服を着たリーヴェは、ほっとしたあまりに、その場にへたりこみそうになった。
 濡れた服が張り付く気持ち悪さからは解放されたが、寒気は続いている。むしろ他の感覚に意識がひっぱられない分、自分が発熱して具合が悪いことを再確認し、足に力が入りにくい。
「そうだ風邪だったね。こっちへおいで。今日は妙に冴え返る天気で、こんな山の近くじゃ寒くてね。暖炉を燃していて丁度良かったよ。こっちの椅子に座りな。ロニヤ、毛布をもってきておあげ」
 サンナに支えられて、リーヴェは暖炉に近いソファに座らせてもらう。
 ほどなく戻ってきたロニヤが、肩に毛布をかけてくれた。
「ありがとう」
 礼を言って体にまきつけると、少しほっとした。
 そんなリーヴェに、ロニヤは尋ねてくる。
「ねぇ、どこであんな王子様みたいな人と知り合ったの? きっかけは?」
 目をきらきらさせて尋ねてくるロニヤは、よほどセアンの顔がお気に召したらしい。黙って立ってれば、童話の王子様にも見えなくもないとなれば、当然の反応かとリーヴェはぼんやり思う。
 セアンの顔を見て夢を描けるというのは幸運だ。
 たいていの人は行動と中身に怯えて逃げ出す。
 しかしそんな話をロニヤに聞かせる必要もないだろう。
 が、頭の回転がとろくなっていたリーヴェは、またしても作り話を考えられずにいた。ので、素直にロニヤに答えた。
「たぶん、私の場合は剣を使えたからだと……」
 でなければここまでセアンと親しくなったかどうか。そもそも王宮にも来ることはなかっただろう。
 およそ女性らしくない返答に、ロニヤは目を丸くしていた。
 


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