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「見てくださいなリーヴェ様! これが私の劇場ですわ」
 セルマが指さす方向を見ると、人混みの向うに円形の屋根をもつ煉瓦色の建物がある。普段なら宵闇に紛れて輪郭がわからないだろうが、王都はいたるところに灯りが掲げられており、その光に浮かび上がるように劇場が見えた。
 珍しい形の屋根には劇場で働いている者だろう。
「星の恵みを!」と叫びながら紙吹雪を撒き、下にいた人々が歓声を上げる。
 うっかり上ばかり見ていたせいで、リーヴェは大通に所狭しと並んだ屋台の柱にぶつかってしまう。
「あ、ごめんなさい!」
 揺らしてしまった屋台の主人に詫びると、
「いいってことよ。代わりにこれ、買ってくんな!」
 焼き物の暑さで袖無しの上着を着た年のいった男が、肉の串を差しだしてくる。
 リーヴェは笑ってお代を払い、着たままだったドレスを汚さないように口に入れた。
 じわりと口の中に広がる肉と甘辛い味。
 王宮で食べている上品な料理に比べると粗野な味つけだが、それが一層郷愁を誘った。
 今頃、故郷の家族も近くの村で串焼きを食べたりしているのだろうか。
 忙しくて忘れていたが、もうずっと家族の顔をみていない。父親はそのうち狩猟の季節になったら登城しそうだが、母や弟は無理だろう。
 家族の事を思ってしんみりしていると、焼き物屋の年のいった男が心配そうに声をかけてくる。
「どうしたんだお嬢さん」
「あ、懐かしくてつい……」
「そんな綺麗な服着たお嬢さんでも、屋台の味がおきに召したのかい?」
 言われてリーヴェは苦笑いする。
「よく食べましたよ。好きでした。そのことを思い出して懐かしくなって……」
「あらリーヴェ様いつの間にお買い求めになったの? 私も一本いただける?」
 気付いたセルマも屋台の主人から串を一本貰う。
 渡しながら屋台の主人は目を丸くしていた。
「今日は随分高級そうなお客が来るなぁ。今年は幸先が良さそうだ」
 そういえば貴族は王都のお祭り騒ぎなどには来ないのだ。着飾っている少女達も多いものの、さすがに王宮でも着て歩けるドレスとは違う。
 そのことに気付いて、目立っているのかと恥ずかしくなったリーヴェとは逆に。
「もちろんよ、ほら、私たちは星の恵みをお分けしているのですもの」
 セルマはそう言って銀色に見える鉄貨を一枚主人に放り、リーヴェを連れて屋台を離れた。
 光と人とが混じり合っている大通を闊歩していると、時折「セルマだ!」と声が掛けられる。
 彼女は「また舞台を見に来てね!」と気さくに返事をしていた。
 もちろんだという答えが返ってくるのを見ながら、リーヴェは彼女が祭りを楽しみつつも、こうして目立つように歩くことで女優としての自分を宣伝して歩いているらしいと気付いた。
 セルマが言った。
「劇場での鑑賞は少々値が張る娯楽ですわ。貴族も見に行くだけの格式もある。けれど観客の半数は庶民なんです。私が女優として這い上がるまで、お客として盛り立ててくれたのも商人や庶民のお客さん。
 だから知らせたいんです。こうして歩くのは宣伝でもあるけれど、私は自分を応援してくれた人を忘れていないって」
 そうしてセルマは王都の大通を連れ回した。
 道の途中では子供達が「星が落っこちた!」と言って転がしたガラス玉で転びそうになったりもしたし、粉砂糖で星空のように飾り付けがされたお菓子を食べたりもした。
 そうしているうちに、リーヴェの気持ちも昔へ帰っていくようだった。
 ここ数日の緊張で疲労した心が癒されていく感覚に、たぶんとても素直な気持ちになっていたのだろう。
 神殿の鐘の音に、大通や家々の明りが少なくなっていき、人々が静かに星空を仰ぎはじめる頃。
 大通の脇に造られた広い公園の噴水側でセルマに問われた時、するりと言葉が飛び出した。
「そういえばリーヴェ様は、お好きな方はいませんの?」
「います……」
 思い出したのはラルスだ。自分を恩人だと言った人。
「ラルス様ですか?」
 ずばり言われて、リーヴェは息を飲んでセルマを見つめた。彼女はいたずらっぽく笑う。
「ご安心なさって、内緒にします。ただ三日前にお二人をお見かけしたとき、そうだろうなと思いました」
「……そんなに私、わかりやすい顔してました?」
 気を付けていたのに。
 もしかしてラルスにまでばれているのではないかと焦ったが、セルマは「女の勘ですのよ」と言ってくれる。
 リーヴェはふっと息をついた。
 隠さなくて良い相手ができたのだ。今まで溜まっていた思いが、ほろりほろりと口からこぼれていった。
「でも私の片想いです。それにまぁ、万に一つの奇跡で思って下さったとしても私みたいに剣を振り回す乱暴者では、彼の名前に傷がつくかなと」
 でも、ここしばらくのうちに大分風化してきたとリーヴェは思う。今は前ほど切なくはない。
 無理だとはっきりわかっているからだろうか。
 そう考えた時にふっと思い浮かんだのは、セアンの顔だった。
 公爵家の一件の時も、ややわかりずらいながらも慰めてくれた、変わった友達。諦めるのが早かったのも、セアンが心配して色々と忠告してくれていたからだったと思う。
「だからいっそ、もうこのまま剣で身を立てるしかないかなと思うんです。なにせお見合いも断られる有様ですし」
「貴族の方の恋愛は、難しいですものね」
 セルマは気の毒そうに言う。
「セルマさんは……そういう方は?」
 自分だけ話すのも恥ずかしいのでセルマに振ると、彼女は肩をすくめてみせる。
「だめね。なまじ女優なんてしてると、その役を演じてる私が好きだったり、そんな人が多くて」
「でも、ずっと仕事をしていくんですか?」
「それもいいかもしれない。最後には意地悪な婆さんの役をやって、それから月の園へ旅立つっていう道も考えてはいるのよ」
 ずっと若くはいられないもの、とセルマは寂しそうに笑う。
「でも、頼れる人がいないのは、時々苦しいわ。だから一時の寵愛でも王様の庇護を受けたら、そんな不安も薄れるかなって思ったりしたのよ。……気の迷いだったけど」
 思い切るようにセルマが立ち上がる。
「ではもう、陛下の側にはいかないんですか?」
 リーヴェの尋ねに、セルマは艶やかな唇をほころばせた。
「いいパトロンでしたけれど、もう王宮には出入りしませんわ。けれど、良かったら私に会いに来て、リーヴェ様。辛いときに辛いと言える相手に、私がなれたら幸せですわ」
 セルマが手を差し出してくる。
 リーヴェは彼女の手を握った。
「ありが――」
 言葉は途切れた。

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