Celsus
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――王妃に恋する人がいるかもしれない。
その話題は、そもそも口の端に登ったことすらない物だった。
レオノーラ妃とて、今まで誰とも会わずに過ごしていたわけではない。故国で暮らしていたときも、騎士や貴族の子弟は周囲にいただろう。
結婚前など両親を失った傷心を抱えて、ともすれば誰かにすがってもおかしくはない状況だったが、レオノーラとアンドレアスは既に婚約していた状態。突然降って湧いた結婚話ではなかったし、故国でもそんなそぶりはなかったらしい。
むしろ国王の恋人問題の方が強烈だった。そのため、レオノーラ妃に故郷に恋人がいるなどという噂さえ囁かれたことはなかったのだ。
そして結婚後、国王とは最初から冷え切った仲だったが、かといってレオノーラ妃には浮いた噂はなかった。王妃の近衛の中には、故国からついてきたなじみ深い騎士もいるのだが、レオノーラの好きな相手がいるとはリーヴェにも思えないのだ。
護衛につく彼らに労いの言葉はかけたり、談笑もするが、基本的にそれ以上の接触はない。誰か一人だけに相談、ということならアマリエか老齢近いホーヴァルが呼ばれる。
そんなこんなで、一部ではレオノーラ様は同性愛者、という心ない噂まで流れたそうだ。
「いやあまぁ、他人の事なんて酒のつまみぐらいにしかみんな考えてないんだろうけど」
独り言をつぶやき、リーヴェは壁のない柱だけの回廊の途中で身震いする。
夏へ向かおうというこの時期。
しかも一昨日まで一週間風と雨が吹き荒れた後はかなり暖かくなってきたというのに、なぜか寒気がするのだ。
「風邪だ……」
寒気に軽い頭痛。そして鼻水。典型的な風邪の症状だ。足りないのは咳くらいだろう。
そのようなわけで、リーヴェは薬師ボーアの部屋へ向かっていた。
朝っぱらから首にストールを巻いたり、肩掛けを羽織ったりしているのを見た同僚達に、行ってこいと勧められたのだ。
風邪などひくのは久しぶりだった。
多少足下がふらつくのもなんだか可笑しい。
思わず笑いそうになって、不気味だろうと気付いて自重する。
こんなもんだったっけと思いながら、リーヴェはボーアの居る棟へたどりつく。
いかに王妃が直接召し上げたとはいえ、男性で貴族ではないボーアを、王妃の居室に近い場所に住まわせるわけにはいかなかった。そこで少し離れた、近衛騎士の居住棟の近くにボーアは部屋をもらっているのだ。
「それにしても、遠い……」
王宮は広い。
広すぎて時々嫌になるほどだ。
ぼんやりしながら歩いていると、リーヴェは建物の中から回廊へ出てきた人とぶつかりそうになった。しかもリーヴェ自分より少し背の低い人物で、突き飛ばしてはいけないと、慌てて急停止した。が、
「あ、すみま……」
「君か」
あまり会いたくない相手だった。
さらりと揺れる黒髪の少年。シャーセの弟、カール・リュエルグだ。
カールは案の定、意地悪そうな笑みを浮かべてたずねてくる。
「しばらくぶりだけれど、暗示を掛けた相手は見つかった?」
正直まったくお手上げだ。
が、それを正直に答えたら、また妙なことを言われそうだと思った。だから黙っていたが、
「その様子だと、全然わからないみたいだね」
お見通しだった。
リーヴェとしては悔しくてたまらない。
ついでに引き留められているのが、建物から一歩外に出た壁のない回廊だからか、寒気に鼻水がでてくる。
どうしようという気持ちと同じだけ、鼻をすすりたい……という欲求が強くなっていく。
「そろそろ教えてほしいかい?」
カールはそんなことなど露知らず、リーヴェに囁く。
「君の秘密と引き替えにね」
リーヴェは近づいた彼の顔ではなく、自分の頬に手を添えるカールの、袖を凝視してしまう。
その袖で鼻をかんでやりたい。
思いつきは強烈な誘惑へと移り変わっていく。
必死に耐える表情が、深刻な表情に見えたのだろう。
「そんなに悩まなくてもいいんだよ? いっそ僕の側についてくれたら、君がなんの不安もなくいられるようにしてあげよう」
取引をもちかけてきたが、熱で頭の回転が歪んでいるリーヴェは、恐ろしいとかよりも先に、鼻をかむことしか考えられなくなっていた。
「そのことに悩んでいたんじゃありません」
「じゃあ何?」
「……あなたの袖で、思い切り鼻かんでやりたいなと」
リーヴェが思わず鼻をすすると、カールが真っ青な顔で一歩リーヴェから離れる。
むしろリーヴェは一歩彼に詰め寄る。
この時リーヴェは、鼻をかませてくれたら、仲間になってもいいような気すらしていた。しかしカールはそれどころではなかった。
「お前、風邪ひいてるのか!」
「だから袖貸して下さい」
淡々と要求して袖をつかもうとしたら、カールは「ひっ」と悲鳴を上げて更に飛び退る。そのまま「なんて女だ!」と言い、リーヴェから逃げていった。
その姿を見つつ、なんだカールを避けたいなら風邪をひいていればいいのか、とリーヴェは斜めにズレた結論に至る。鼻水が恐ろしいとは軟弱な、と。
このまま追いかけて暗示をかけた女官を聞き出そうかと思ったが、
「それやったら、また私の評判落ちるかな……」
そんな事がちらりと頭をかすめたところで、くらりとめまいがした。
だめだ、とにかく具合がよくない。
まずは薬を貰って、落ち着いてからカールを探そうと考える。
近衛の棟へ入ったリーヴェは、階段を上ろうとしたところで、そこにセアンが立っているのを見つけた。
彼はそこでカールとリーヴェの会話を聞いていたのだろう。
「俺が出るまでもなかったな」
無表情のまま、リーヴェにハンカチをくれる。
「セアン、今日は良い人だ……」
思わず感想を述べ、有り難く受け取ったハンカチで鼻を押さえる。
「それは返さなくていいからな」
尋ねる前に言われてしまった。そしてセアンは続ける。
「早くボーア師の所で薬を貰え。すぐに妃殿下の元に呼ばれることになる」
「何かあったの?」
首を傾げるリーヴェにセアンが告げた。
「詳しいことはお前の後ろの奴も知らないようだな。もうすぐ、妃殿下に言いつけられた人間が、お前を呼びに来る……とだけ言っている」
セアンのいつもの背後霊発言の伝達に、ふうんとリーヴェは気のない返事をする。
それからふと、いつもだったら慌てて後ろを振り返ってしまっていただろうなと思う。
けれど、今日はどうでもいいやと思った自分に気づく。
おそらく熱で頭がぼうっとしているせいだろうが、ちょっとだけ、リーヴェは「今日の私って最強?」と思ったのだった。
その話題は、そもそも口の端に登ったことすらない物だった。
レオノーラ妃とて、今まで誰とも会わずに過ごしていたわけではない。故国で暮らしていたときも、騎士や貴族の子弟は周囲にいただろう。
結婚前など両親を失った傷心を抱えて、ともすれば誰かにすがってもおかしくはない状況だったが、レオノーラとアンドレアスは既に婚約していた状態。突然降って湧いた結婚話ではなかったし、故国でもそんなそぶりはなかったらしい。
むしろ国王の恋人問題の方が強烈だった。そのため、レオノーラ妃に故郷に恋人がいるなどという噂さえ囁かれたことはなかったのだ。
そして結婚後、国王とは最初から冷え切った仲だったが、かといってレオノーラ妃には浮いた噂はなかった。王妃の近衛の中には、故国からついてきたなじみ深い騎士もいるのだが、レオノーラの好きな相手がいるとはリーヴェにも思えないのだ。
護衛につく彼らに労いの言葉はかけたり、談笑もするが、基本的にそれ以上の接触はない。誰か一人だけに相談、ということならアマリエか老齢近いホーヴァルが呼ばれる。
そんなこんなで、一部ではレオノーラ様は同性愛者、という心ない噂まで流れたそうだ。
「いやあまぁ、他人の事なんて酒のつまみぐらいにしかみんな考えてないんだろうけど」
独り言をつぶやき、リーヴェは壁のない柱だけの回廊の途中で身震いする。
夏へ向かおうというこの時期。
しかも一昨日まで一週間風と雨が吹き荒れた後はかなり暖かくなってきたというのに、なぜか寒気がするのだ。
「風邪だ……」
寒気に軽い頭痛。そして鼻水。典型的な風邪の症状だ。足りないのは咳くらいだろう。
そのようなわけで、リーヴェは薬師ボーアの部屋へ向かっていた。
朝っぱらから首にストールを巻いたり、肩掛けを羽織ったりしているのを見た同僚達に、行ってこいと勧められたのだ。
風邪などひくのは久しぶりだった。
多少足下がふらつくのもなんだか可笑しい。
思わず笑いそうになって、不気味だろうと気付いて自重する。
こんなもんだったっけと思いながら、リーヴェはボーアの居る棟へたどりつく。
いかに王妃が直接召し上げたとはいえ、男性で貴族ではないボーアを、王妃の居室に近い場所に住まわせるわけにはいかなかった。そこで少し離れた、近衛騎士の居住棟の近くにボーアは部屋をもらっているのだ。
「それにしても、遠い……」
王宮は広い。
広すぎて時々嫌になるほどだ。
ぼんやりしながら歩いていると、リーヴェは建物の中から回廊へ出てきた人とぶつかりそうになった。しかもリーヴェ自分より少し背の低い人物で、突き飛ばしてはいけないと、慌てて急停止した。が、
「あ、すみま……」
「君か」
あまり会いたくない相手だった。
さらりと揺れる黒髪の少年。シャーセの弟、カール・リュエルグだ。
カールは案の定、意地悪そうな笑みを浮かべてたずねてくる。
「しばらくぶりだけれど、暗示を掛けた相手は見つかった?」
正直まったくお手上げだ。
が、それを正直に答えたら、また妙なことを言われそうだと思った。だから黙っていたが、
「その様子だと、全然わからないみたいだね」
お見通しだった。
リーヴェとしては悔しくてたまらない。
ついでに引き留められているのが、建物から一歩外に出た壁のない回廊だからか、寒気に鼻水がでてくる。
どうしようという気持ちと同じだけ、鼻をすすりたい……という欲求が強くなっていく。
「そろそろ教えてほしいかい?」
カールはそんなことなど露知らず、リーヴェに囁く。
「君の秘密と引き替えにね」
リーヴェは近づいた彼の顔ではなく、自分の頬に手を添えるカールの、袖を凝視してしまう。
その袖で鼻をかんでやりたい。
思いつきは強烈な誘惑へと移り変わっていく。
必死に耐える表情が、深刻な表情に見えたのだろう。
「そんなに悩まなくてもいいんだよ? いっそ僕の側についてくれたら、君がなんの不安もなくいられるようにしてあげよう」
取引をもちかけてきたが、熱で頭の回転が歪んでいるリーヴェは、恐ろしいとかよりも先に、鼻をかむことしか考えられなくなっていた。
「そのことに悩んでいたんじゃありません」
「じゃあ何?」
「……あなたの袖で、思い切り鼻かんでやりたいなと」
リーヴェが思わず鼻をすすると、カールが真っ青な顔で一歩リーヴェから離れる。
むしろリーヴェは一歩彼に詰め寄る。
この時リーヴェは、鼻をかませてくれたら、仲間になってもいいような気すらしていた。しかしカールはそれどころではなかった。
「お前、風邪ひいてるのか!」
「だから袖貸して下さい」
淡々と要求して袖をつかもうとしたら、カールは「ひっ」と悲鳴を上げて更に飛び退る。そのまま「なんて女だ!」と言い、リーヴェから逃げていった。
その姿を見つつ、なんだカールを避けたいなら風邪をひいていればいいのか、とリーヴェは斜めにズレた結論に至る。鼻水が恐ろしいとは軟弱な、と。
このまま追いかけて暗示をかけた女官を聞き出そうかと思ったが、
「それやったら、また私の評判落ちるかな……」
そんな事がちらりと頭をかすめたところで、くらりとめまいがした。
だめだ、とにかく具合がよくない。
まずは薬を貰って、落ち着いてからカールを探そうと考える。
近衛の棟へ入ったリーヴェは、階段を上ろうとしたところで、そこにセアンが立っているのを見つけた。
彼はそこでカールとリーヴェの会話を聞いていたのだろう。
「俺が出るまでもなかったな」
無表情のまま、リーヴェにハンカチをくれる。
「セアン、今日は良い人だ……」
思わず感想を述べ、有り難く受け取ったハンカチで鼻を押さえる。
「それは返さなくていいからな」
尋ねる前に言われてしまった。そしてセアンは続ける。
「早くボーア師の所で薬を貰え。すぐに妃殿下の元に呼ばれることになる」
「何かあったの?」
首を傾げるリーヴェにセアンが告げた。
「詳しいことはお前の後ろの奴も知らないようだな。もうすぐ、妃殿下に言いつけられた人間が、お前を呼びに来る……とだけ言っている」
セアンのいつもの背後霊発言の伝達に、ふうんとリーヴェは気のない返事をする。
それからふと、いつもだったら慌てて後ろを振り返ってしまっていただろうなと思う。
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